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『手作り食についてもっと学びたい』
『チャコの死の原因を追究したい』
その気持ちが合わさって
動物看護士の道へ進むことを決意。
アルバイトをしながら動物看護士の資格を取り、
手作り食を勧める動物病院で勤務するようになる。
そこには、いろんな病院へ行ったけどなかなか治らず
セカンドオピニオンで来られる方が多くいました。
皮膚病の子はもちろん、
てんかん発作や気管虚脱、椎間板ヘルニアなど、
手作り食に変えることで
ストレスから解放されていく
わんちゃん猫ちゃんがたくさんいました。
仕事自体は楽しく、
大好きな動物たちと関わることができたし、
困っている飼い主さんが安心していく姿や、
状態の悪かった子たちが変わっていく姿を見れて
やりがいがありました。
この頃から、チャコがなぜ亡くなったのかが
だんだんわかってきます。
いろんなことが勉強になった反面、
院長や上司たちは厳しく、言葉もきつく、オペの時間など常にピリピリ。
わからないことを聞けるような雰囲気ではなく、いつも院長や上司の顔色を伺いながら仕事をしていました。
『この仕事したいけど上司はこっちの仕事をしてほしいんだろうな…』
『上司が今この仕事してるから私は…』
上司を怒らせないように、上司の行動ばかりが気になって自分の仕事ができず上司の為に常に動いていました。
『代わりなんていくらでもいる』
何度も言われて、自分がここにいる意味がわからなくなりました。
好きな仕事が辛いだけでした。
仕事の帰りはずっと張っていた糸が一気に緩んで泣きながら帰る毎日でした。
それでも、『辞める』という選択肢はなくて
『もう少し頑張る』『まだ頑張れる』
そう思いながら生きていました
仕事のストレスは全部食事で発散。
毎日、お酒を飲んで現実を忘れたくて記憶がなくなるほど飲んでいました。
夜中にラーメンやおかしを食べたり
罪悪感で吐く。
そんな弱い自分が嫌で
今度はオーバードーズも・・・。
『自分なんてどうなってもいい』
『このまま死んだらみんな心配してくれるかな』
そんなことばかり考える日々でした。
30歳で旦那さんに出会い、31歳で結婚。
尼崎市から滋賀県に移るため退職。
どんどん体重は減って38㎏になったとき、
見かねた母と旦那さんが大学病院を勧めてくれて、診てもらうことになります。
病院の勧めから検査入院をしました。
そして、36歳でやっと、病名がはっきり出ました。
胃が骨盤まで下がるほど下垂していて、そのことが原因で起こる症状だということでした。
この病気は、薬による治療はなく、生活習慣を見直すように言われたので、
そこからは、自分自身の食事や人の栄養学を勉強しました。
大好きなお肉や揚げ物、炭水化物もやめてお酒もやめました。
なるべく、野菜やお魚の和食を中心とした食事に切り替えて
少しずつ改善していきました。
毎日のウォーキングやヨガをしてさらに体調は良くなっていきました
『一緒に生きていきたいと思ったから結婚した』
旦那にそう言われてはっとした。
『わたしは、目に見えないものばかり追い求めて目の前にある大切なものが見えてなかった・・・』
と、気付かされます。
今ある環境や周りにいる人に目を向けて
感謝して大切にしていかなきゃ・・・
そう思うようになりました
持病のこともあり、
”もう子供は望めないかもしれない”
そう思ったとき
”そんな人生つまらないな・・・”